宿題

この年齢になり出された宿題。

そこには「宿題を出す側」と「宿題を出される側」という構図があった。

 

出す側は少し声色を変え表情を変え先生然のように振舞う。

そういえば数年前にも似たような人がいた。

わたしにはその空間がとても居心地悪かった。

 

「私が先生よ」と力みが入った人と、

生徒役を演じることを窮屈に感じている私が対峙している状態だ。

 

今、目の前にある現象を自分自身を見つめる機会にするのなら、

それこそが本物の宿題になる。

 

私の中の癒されていなかったものがこの現象を通し浮上した。

癒されていなかったものの正体は、

込み上げて来るゾワゾワ感。ヒリヒリする痛み。

 

「よく出てきてくれたね!!」って目を瞑り、

ゾワゾワするエネルギーに意識を向けてみる。

意識を向けらるとゾワゾワのエネルギーはほぐされて形を変え光を放つ。

 

そして次に思考する。

何が嫌なのか?

何が正しくて何を間違いとしているのか?

何を頑なに拒否しているか?

探っていくと自分自身が握りしめている価値観が見えてくる。

 

その価値観は自分自身を守ってきたありがたいものでもあった。

それと同時に自分の生きる世界を窮屈にもしていた。

それでも守る方を選んできたのだ。

それは致し方のないことでもあった。

 

しかし、この価値観がないと自分を守ることができないのだろうか?

そんなことはない。

価値観を手放しても平気だ。

安心して頑なに握りしめている価値観を手放せば、

更に本物のあなたに近づける。